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今年もよろしく!(最後の日記)

あけましておめでとうございます!!

今年もよろしくお願い致します。

 

沢山の可愛いお年賀状をありがとう〜〜!!!

メールも沢山、ありがとう〜〜!!!

何度も何度も読み返しながら、今年はゆっくりとお休みを頂きました。

2018年が、皆様にとって、この星だけでなくこの宇宙にとって、、、

そして、私やスタッフにとっても、最高に楽しい平和な一年であります

ように、、、心から祈ります。

 

幸子が8歳の時にかかってしまった「免疫介在性溶血性貧血」の為に始めた

このブログはこの日記で最後になると思うので、ちょっと長くなります。

どうか、お時間がある時にお付き合い下さい。


 

昨年は我が家から「いぬ」がいなくなった年でした。

いぬのいないクリスマスもお正月も25年ぶり。

いぬどころか、鳥もカブトムシもウサギも、、誰かしらいつもいたから

本当の一人は生まれて初めてです。

 

  (15年ほど前の「家族の写真」です。)

   

でも、昨年は、沢山の友人やお客さまに、今まで以上に「愛」を頂いた年

でもありました。無言の愛も、痛いほどに感じた年でした。

幸子が4月5日に、パパとママのところへ行き、みんなは私が気が狂うの

ではと、それはそれは、、、遠まきに、そして、腫れ物に触るように気を

使ってくれたり、そっとお花が玄関に置いてあったり。

オーダーのメールのなかにも、こっそりと埋め込まれたみんなの気持ちが

優しく伝わってきていました。ありがとう。

 

みんな、天使のポーチの中に入っちゃった。。。

 

でも、私は大丈夫!!!

 

大晦日の日に、幸子がパパとママと手を繋いで帰ってきたの!!!

そう。いわずと知れた、ご存知「秋草愛」さんの作品です。

相変わらず、何もわからずに過ごしていた9ヶ月だったけど、、

やっと、やっと、、号泣!!!

「みんな、可愛すぎたんだ!!私はみんなを愛しすぎたんだ!!

 私達は、私達は幸せすぎたんだぁあああああ〜〜!!」

と、大泣きしました。

 

愛ちゃんはいつもそんな時に、そっと、黙って傍にいてくれます。

大好きで大好きなソウルメイトです。一緒に年越し蕎麦も食べました。

ひょんなことで知り合った愛ちゃんは13年間、私達家族を描き続け

最後には三匹の写真すら見ないでも描けるほどによ〜〜く、よ〜く、

みんなの事を知っていました。性格はもちろん、尻尾の先の特徴まで。

だから三匹とも(偏屈なあゆ子さえも)愛ちゃんにはひっくり返って

甘えまくっていました。

愛ちゃんのことが、みんな大好きでした。

沢山たくさん、可愛がってもらいました。

年末にはアトリエに通って、額縁まで直々に作ってくれました。

 

 (額縁職人にハマりそうな愛ちゃん!)

ふたりで数えてみたら「はたらくいぬ」シリーズも入れると16枚もの

家族の絵を描きつづけてくれていたのです。そしてエンディングがこの

「天国の家族のフィギア」「会えたよ!」「みんな一緒!」です。

みんな一緒では、妹のマジュも幸子と一緒にブランコで楽しそう!!

今までありがとう。本当にありがとう。


私は幸子の死が上手く理解できなかったことが、そして、どうやっても

思い出せないことが、やっと年末にネットの記事であることを知ってから

ちょっとだけ腑に落ちました。

幸子は亡くなった瞬間に私の中に入ったのです。

私達は「同化」したのです。

だから、悲しくなんてないのです。

 「同化」とは・・・

ここに添付しておきますね。きっとこんな思いで苦しんでる人が私の周り

にも沢山いるのでしょう。ぜひ、読んでみてください。

 

革職人だった私がいつの間にか犬具職人になり、本当に沢山のわんこ達と

出会い、何万本という数の首輪やリードを作らせて頂く中で、当然飼い主

さんたちの思いにも、嫌というほどに触れてきたわけです。だからこそ、

自分の記憶喪失になるほどのへなちょこぶりには、嫌気がさしていたわけ

ですが。支えなくてはいけない立場の私が、支えることも出来ない。。。

でも、それぞれの家族、ぞれぞれの愛の形、それぞれの関係、それぞれの

感情、沢山あっていいのです。そしてあたりまえなのです。

へなちょこはへなちょこ、、これでいいのです。

という事を、やっとやっと理解してきました。

 

私は一応「犬関係」の仕事なので、もっともっとクールにしなくちゃ。

って思いすぎていた。ただのへなちょこ飼い主のクセに。。。

「亡くなったら、泣いて泣いて号泣して、悲しむだけ悲しんで、

 そして、きちんと立ち直って、また、次の出会いをちゃんと求めて

 保護いぬなどを受け入れて、共に暮らす。」

これが私の理想でしたが、それどころではない自分が本当にダメダメで、

自分を責めてばかりいました。

実は幸子が亡くなってから「この子、めぐさんに飼って欲しいの!」と

いうようなお話が沢山あったのですが、とにかく苦しかった。

もちろん無理。この三匹だけとの生活が長すぎた。そして、闘病生活と

介護生活が長すぎた。

お気持ち、、ありがとう。でも、今はまだ、私は一人でいたい。

出会いがあるとしたら、いつか、神様が与えてくれるのでしょう。

 

お正月にはゆっくりと写真の整理をして、ブログも読み返して、みんな

の首輪のお手入れをして、、、な〜んて、壮大な計画がありましたが。

結局、何一つ出来なかった。昔のブログなんて、まだ読めないよ。

でも、それでいいのです。それが私にとっては自然なのです。

無理なことは、無理なのです。だから、何にもしなかった。

もう、無理はしない。

 

今は、愛ちゃんの作ってくれたフィギアと、

たくさん描いてくれた絵で充分満たされています。

そんな気持ちにさせてくれるアーティストとの出会いに感謝です。

 

  「天国の家族のフィギア」  

 

   「会えたよ!」

 

   「みんな一緒!」

 

今まで描いてもらった絵で、私の寝室は夢のような空間です。

 

 


そして、この最高の天国からのメッセージを最後に、

幸子の病気の為に立ち上げたこのブログ、これで一旦、終わりにします。

途中からはほぼ老犬介護の日記にもなっていましたが、もし参考になるよ

うなことがあればという思いでこのままHPのTOPには置いておきます。

たまに気が向いたら覗いてやってください。

この子達の生きた軌跡です。沢山の情報も書いてあるつもりです。

 

(今は三匹の代りにされている奴ら・・・WWW)

 

ホームページの製作日誌を、元通りに「ブログ」に戻しましたので、

日常のことも含めて仕事の事ももちろん含めて、これからも「ブログ」

は書き続けていくつもりです。

もちろんたまには三匹も登場するでしょう〜!

なんといっても、健吾@ぬんぬんがいなければ、アトリエSASHA

というブランドはこの世になかったわけですから、

恥ずかしながら、、これからも健吾が「社長」です(笑)

 

「Sandy」というハーブのお仕事も、資格をとって始めたばかり

でしたが、自分の犬の病気の為に始めたハーブの栽培でしたのでしば

らくはお休みします。

私の体力では、ちょっとキャパオーバーでした(笑)

(そんなことはお構いなしに、逞しいハーブたちは元気に生きていま

 すが!)

 

これからも「革工房アトリエSASHA」をどうぞよろしく!

しばらくは体調をコントロールしながら、片腕のRIKAとも

ども、、、ますます、みなさんの大切で可愛い家族の為にも、

専業であった革工房に専念します。

 

(これも15年ほど前の全員、若かりし頃の写真です。)

 

今まで、このプライベートブログ(雑記帳)を訪れてくれた

沢山の皆さん、お客様、友達、このブログで知り合った大切

な仲間達。ありがとう。

本当に本当に10年間、ありがとうございました。

また、私が「いぬ」と暮らせる日をどうぞ楽しみに見守って

いてやってくださいませ〜〜!!

そして、これからは「ブログ」のほうに、

ぜひ、遊びに来てやってください!

更新したら「FB」のほうで報告いたします。

インスタもがんばろう〜〜っと!!

 

本当にありがとう。またね!!

本当にこの子たちとの生活は、最高にしあわせでした。

皆さんのおかげです。

 

おのめぐみと健吾と杏樹と沙紗より。

 

かしこ

 

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わんわんわん、そして、わんわんわんわん。

11月11日。

わんわん、わんわん!!

今はいぬが居なくなってしまった我が家だけれど、、、。

だけど、この日は私にとっては忘れられない大切な日。

 

昨年の今日、早朝に電話が鳴った。私の古くからの友人のりりィ姉ちゃん

の訃報だった。彼女と最後にメールで連絡をとったのは11月5日が最後。

ベーシストでもあった彼女はベースの日の11月11日。

そして6時9分、ロックな時間に、かっこよく旅立って行ったのだった。

若い頃から沢山のことを教わった、本当に本当に大好きな姉ちゃんだった。

りりィもずっと、シェルティーと暮らしていたんだよ。

 

八丈島に私が渡った日は、実は、彼女を鴨川の海に散骨した日でもあり、

だから私は船の上からずっとずっと海を見ていたのです。

そして、息を呑むほどに群青だった八丈島の海。

小さな波が数になり、重なり合っては大きな海に帰っていくのを

だから私は飽きることなくずっと見ていたのです。

 

 

それはまるで彼女が言葉を紡ぐように、終ることなく繰り返されていた。

足の指の間を群青が流れる静かな時は、まるでりりィとの会話のようだっ

た。そして、空と海の境目から、りりィが

「めぐ、がんばって生きるんだよ!」

と言った。まるで幸子が居なくなった事を知っているかのように。。。

 

群青の海を手ですくう。

そうすると一度、手の中で透明になった美しい水は、

海に戻ると、また、何事もなかったように群青になった。

それを、ずっとずっと繰り返していた、あの日。

りりィも、幸子も、そして私も、同じ海なんだなあって思ったあの日。

それから、ちょうど半年が過ぎた。


すっかり、ブログを書くことどころか、写真を撮る事すらできなくなった

私に、このブログに訪れてくれるみんなは、無言でエールを送り続けてく

れていた。

だから、私も、無言で答えていた。ありがとう。色々あったんだ。

でも、みんなみんな、いろんなことがあるんだよね。

だから、無言でもいいから、ずっと繋がっていたいよ。

 

 

そして、私の最愛の母の命日も

11月1日。

わんわん、わん!!

それを挟むように、あゆ子とぬん吉の命日も続き、

お花とお線香でいっぱい。

 

 

今は庭を訪れる鳥さんに毎朝ご飯をあげたり、

桜草に蜜を吸いに来る虫や、カマキリをからかったり、

たまに公園に行って、幸子にお土産を拾ってきたり。

 

まだまだ、しばらくは仕事に没頭しつつ、ゆっくりと時間を過ごします。

止まらない、動物愛、植物愛、仕事愛、友人愛、、

そして、あゆ子とぬん吉と幸子愛。

 

そういえば、わけあって、この人たちはある友人宅にお泊りしています!

 

 

幸子のこと、まだわからないままの私だけれど、

イルカとイルカに乗った少年に、幸子の服を着せ替えたりしている

もうすぐ還暦な私です(笑)

 

 

このブログももう10年。

本当にたくさんの方が訪れてくれて、たくさんの友人もできました。

仕事のお客様も沢山訪れてくれました。

ありがとう。

めぐさんは、がんばっているよ。

まだまだ、いつも、健吾と杏樹と沙紗のことばかり考えているけれど、

でも、大丈夫だよ。

みんなのわんこ達のグッズを作らせてもらって、

写真を見せてもらって、

本当にこの仕事で良かったって思うよ。

 

かしこ。

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初盆

幸子に作った「天使のポーチ」

今年のお供えはぜんぶ幸子が好きなものにした。

まだあんまり甘くないかもしれないけど、桃も買ったよ。

また、パパに食べられないようにしないとね。

今度はお母さんが見守っててあげるよ。

 

美味しいさくらんぼや、桃のスイーツのお供え。

お花やお線香。

いつもいつも、みんなみんな、送ってくださって本当にありがとう。

幸子のことでは、たくさんのお客さまに心配をかけてしまい。

でも、みんな経験があるから、そうしてそっと寄り添ってくれる。

私と同じように「悲しみがやってこない」「涙が出ない」「思い出せない」

という人も案外いらして、メールをしていて、なんだかちょっと腑に落ちた。

あまりにも長く患って、支え続けていた飼い主は案外そうなるみたいだ。

と、、、ひとごとのように分析。

そう。

私はまだ、全然わかってないのです。

困ったものです。

早く顔が腫れるくらい泣きたいのです。

 

ブルーベリーを摘みながら、ついつい、後ろを振り返ってしまう。

あ、、いないのか。

去年までは「お母さん、早く採って!」といって、後ろで足踏みをしている子

がいたのにな。

スーパーに行っても、ついつい幸子のモノを買ってしまう。

あ、、いないのか。

モヤシとか小松菜とか。私はそんなに好きじゃないのに。

水曜日になると「今日は病院だっけ? いやいや、、ちがう、ちがう。」

 

日々、小さなことが、全てまだまだそんな感じだ。


 

写真家の友人が最後に撮ってくれた写真を本にしてくれた。

最高の思い出をありがとう。少し、涙が出そうになった。

嬉しくて、一日に何度も何度も見る。

仲良しだったな。私たち。

 

でも。

そう。

幸子は、パパとママのところへ行ったのだ。

そして、お盆の間は帰ってくる。

 

迎え火。

お供え。

お線香。

お経。

 

にぎやかに、しめやかに。

私の両親と猫。そして健吾と杏樹と沙紗。

うれしいなあ。今日からみんな、帰ってくる。

 

こうして、色々な儀式をしながら、時を刻みながら、

みんな理解していくのだろう。

そして、魂で繋がっていくのだろうか。

供養という事は、きっとそういう事なんだ。

お盆休みって、遊ぶ為じゃないんだよ。

供養するためなんだ。

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島流し(長文です)

時の流れが変だ。

相変わらずへなちょこなお母さんのわたし。

数年前、ぬんぬんとあゆ子のときも、こんな日記を書いた気がする。

 

もう2ヶ月もたったのに、いまだに毎日のように幸子宛の荷物が届く。

そして、心からありがたいと思う。犬なのに、何て幸せな奴だと思う。

幸子がいなくても枇杷はなり、

幸子がいなくてもブルーベリーも実をつける。

幸子がいなくてもビーバームが咲く。

でも、忘れな草。ああ。。これは幸子がいなくなったから蒔いた種だった。

私は、まだ、ほとんど涙もでない。

彼女がいなくなったことも、彼女と暮らしていたことも、何もかもが

よくわからないのだ。

 

幸子を荼毘にふすまでの2日間で、40人くらいの友人が会いに来てくれて

泣きながら幸子に話しかけて、お花を手向け、線香をあげてくれた。

私は葬式で騒いでしまう子供のように友人たちに会えることが嬉しくて、

妙にテンションが高かった。みんなそれが、とても不思議そうだった。

私が倒れこんですがり付いて泣きわめいていると思ったのに、と言った。

私は「ご期待にそえなくて。。。」と言った。

 

そして、儀式的にお葬式を済ませた。ちょっとだけ泣いた気がする。

でも、そのときも集ってくれた友達が神妙な顔をしているのに、

後で写真を見たら、友人たちに会えることが嬉しくて一人

満面の笑みの「KY」な私。

次の日からも、悲しみはやってこず、写真を見ても上手く思い出せない。

何故、玄関がお花のダンボールでいっぱいなのかもよくわからず。

でも、お花が大好きなので、大喜び。

 

これは、、、おかしい。

なんとか泣きたくて、幸子と毎日行った公園にいき、いつものコースを

歩いていたが、、、。なんと、、、魂が抜けたように浮いてしまった。。。

ソウルポーションロス(シャーマニズムの言葉)という現象らしい。。。

悲しみの魂を手放してしまった無感情症。

心がぶっ壊れないように自己防御するんだそうな。。。

(こういう事は、案外あることのようだ。)

 

でも、、こう来たか。なんだか、重症な感じだ。ヤバい感じだ。

 

幸子は確かにいたのだ。

うちで生まれて18年間も片時も離れずに私たちはいた。

私は幸子が死んでしまったら、ぶっ壊れて、ボロボロになって、しばらくは

手がつけられないほどになると思っていた。

いや、そうなりたかった。。。

 

でも、、、全く違った。

それはそれで、恐ろしく苦しい闇の中。

苦しくて仕方がない。

毎日線香をあげても、写真を見ても、お花を綺麗にお世話しても、、、

現実として、何一つ思い出せない。だから、、苦しくて苦しくて苦しい。

それでも、悲しくはないのだから、普通に生きてる自分。

大嫌いだ。自分。

何をやっているのかわからないままに、幸子のお骨の頭を撫でてみる。

一日のときの流れもおかしい。

何をしてるのかわからないまま友人に頂いた線香を片手に家の中を

一日中歩いたり。

気がふれてんのか???あたし。

 

悲しくなりたいのに。泣きたいのに。泣けたらいいのに。

 

そんな私を友人たちが心配してくれて、

「こんな生活じゃダメだ。まずは家じゅうを模様替えするぞ!!」

と、たったの一日であっという間に、まるで引越しをしたかのように、

8人がかりで大移動してくれました。

犬たちが病気になり、年をとってから、10年以上はリビングに布団を敷き

詰め、私もそこで介護をするという生活で、足の踏み場もない中での完全

に犬中心の日々だったことは間違いない。

友人たちのおかげでで、アトリエも倉庫も寝室も、ものの見事に生まれ

変わった。ベッドもマットも新品で、完璧なまでのステキな我が家。

だけど、今度は、ここがどこだかわからない。

ただただ、家の中をまた、花を持って歩く。


泣きたいのに。泣けたらいいのに。

家にいたら、悲しみとは違う意味で気がふれてしまいそうだった。

だから私は旅に出た。


八丈島に行ってきました。

何故か八丈島。縁もゆかりもない島。

友人たち、、、ビックリ!!!

何で八丈島??どしたの??一人で??何をしに???大丈夫????

「疲れも溜まってるし、湯治でもって思っただけ。大丈夫。」

そして、横になって船で行けるという理由だけで八丈島を選んだ。

「ふんふん、、米ぬか酵素風呂の湯治。なんだか気持ちが良さそうだし、

何にもない、誰もいないところに、そして、海が見えるところに行こう。」

私の行きつけの治療師さんのお薦めもあり、なんとなく決めた。

でも、とても私は甘かったのだ。

恐るべし米ぬか酵素風呂でした。

 

経済的な理由で私は「コテージ貸切、自炊、お風呂は一日2〜3回」という

プランを立てていただき、でっかいダンボールに2週間分の食料など詰め込

んで事前に送り、、、身一つで船で旅立った。

もう、ここからが大きな間違い。

特2等の船室は腰を曲げていないと座る事すらできず、10時間一睡も出来ず。

酔い止めを飲んだのに、まるで悲しい酔っ払い。

島に着いた時点でもう、すでに立てないくらいボロボロな私。

タクシーで生もの(野菜など)を調達し、そのまま宿へ。

そして、野菜を入れた冷蔵庫の「野菜室」は「冷凍庫」だったため。。。

レタスもキュウリもピーマンも、全てが凍った。

あーー。夢の八丈島。。。ドキドキするぜ。。。

(コテージから見える海。綺麗な景色。でも野菜は凍った。)

ショックを隠しつつ、その日から、米ぬか酵素風呂へ入れていただく。

巨大な米ぬか酵素で埋め尽くされた風呂場を深く掘っていただき、

その中に横になり、しっとりした米ぬか酵素をかけて埋めてもらう。

うううう〜〜〜〜!!熱い。重い。苦しいぞ。

まるで生き埋めだ。これは自力では脱出不可能。

15分と書いてあるが、10分くらいで事態を理解した。

「これを2週間、一日2〜3回??」

でも、これから自分に起こる本当の事はまだこの時点では気がついていない。

 

酵素風呂からコテージまではあかり一つない国立公園の敷地の中を30mほど

歩くだけ。

それなのに、割れそうな頭痛で、上手く歩けない。。。

次の日は、加えて吐き気。

次の日から全身に発疹。

次の日は全身がアザの様な斑。爬虫類のようだ。

そして、、、

その次の日。ついに、、、39度越えの発熱。

もう、、、ノックアウトだ。手も足も出ない。

時すでに遅し。もう、引き返すことはできない。

だから、進むしかない。

何をしてるんだ?私。何のために。どこにいるのか?私。

持ってきた本も読めない。ネットも出来ない。

だから、傘を杖にして、汗をだらだら流しつつ、浴衣を着て、国立公園の中を

一日三回、一人、歩くおばちゃん。

 

想像を越えた「好転反応」メンゲンとも言うけど良くなるための反応。

そんなのどうでもいい。とにかく辛い。意識が朦朧としている。

「私は、、、私は、、、八丈島で死ぬのかっ??」

とにかく汗を出しまくり、寝巻きに着替え、眠る。

お風呂。倒れて眠る。水分をとる。

お風呂。倒れて眠る。水分をとる。

水分はその辺に自生しているアシタバを煮出して飲む。

死ぬ。水分をとらないと死ぬ。。。本当に。。。死ぬ。。。

食事など作れるわけもなく、コテージの前のニラやアロエを採って生で

食べて眠る。

自炊コースなのに、宿の人がおじやや麦のスープを差し入れて下さった。

あーーー。いい人だ。優しい宿だ。ここでは死ねない。

 

サバイバルという言葉がよぎる。

 

持病の腰を労わりつつ、アシタバ包丁でを刈り取るおばちゃんの姿を想像して

欲しい。

笑ってくれ。

生きるって、生きるって、、、すごいんだ。


好転反応が出るとは書いてあったし、聞いていたし、想像もしてた。

でも、ドンだけ私は疲れてたんだい〜?べいべ〜〜??

そんだけ毒が溜まってたんだい〜〜?お〜いぇ〜〜ぃ!!

 

10日くらいは、一日20時間ほど眠っていた。

(大げさではなく、しかも本気で)

何年分の睡眠をとってるんだい〜〜〜?しかもここは八丈島らしい。

「ここは八丈島」という自作の演歌が高熱の頭にぐるぐると浮かんでくる。

クレイジーだ。

狂ってきたかもしれない。。。

あーーそして、、、ここは、どうやら八丈島らしい。


そんな悪夢のような10日を、かなり孤独に過ごし、

幸子といっしょに使っていた毛布を抱きしめ、

夢と現実を行き来するような日々が過ぎた。

 

そして、10日後。

 

いつしか、お肌がつるつるになり〜〜

スプーンネイルになっていた爪もあっという間にちゃんとした爪が生え〜〜

酵素に触れた部分の白髪も黒くなり〜〜

汗をかかない体質だったのに、何十年分もの汗をかき〜〜

少しのんびりして太りたかったのに、三キロも痩せたけど、、

ダイエットにはもってこいの汗の出方!!

毒が出た感満載。

ガンや筋ジストロフィーにまで効果ありという情報も、なんだかうなずける。

(ちなみに私の行ったコテージK2は、電気もガスも一切使わないので、

 ここまでのメンゲンがあるとのこと。エステの物とは訳が違うという事は

 付け加えておきたい。)

最後のほうには、やっと海にも。この、群青の海には絶句。綺麗だ。

行きたかった神社にも。

そして、宿の方とも仲良くしていただき、、なんだか第二の故郷チックな感じに。

(まあ、ほとんど八丈島にいるという実感はなかったにせよ。)

そして、帰りは大好きな飛行機で。

 

あーー八丈島よ、さようなら。

元気になって、また来るぜ。待ってろよ〜〜〜!!


東京に戻り、そうか。ここが我が家か。アトリエか。

狐につままれたような2週間。


桜の季節はとうに過ぎて、

島流しのような生活からも無事生還。

その間も、私なんていなくたって、とくとくと、時は勝手に流れていた。

スタッフがいてくれた我が家は、出発前よりもうんと綺麗だ。

幸子の四十九日も滞りなく済ませた。

幸子のネームカラーを自分のブレスレットにした。

すぐに作ろうと思っていた天使のポーチもやっとの事で作り。

お仏壇は華やかになった。

 

それでもまだ、、、、思い出せない。

だけど、だけど、

幸子の優しさは相変わらずだ。

八丈島で三回も夢に出てきてくれた。

三回とも彼女は

「生き返ったよ!」と言っていた。

そして、三回目の夢はあまりにも可愛らしく。

「ねえねえ。おかあさん、起きて。

 桃がね、幸子も桃が、、、食べたいの。」

んん??幸子も??モモ??と思って見ると、

なんと、、、ぬんぬんと幸子が並んで立っていて、

ぬん吉が両手に桃を持って、美味しそうに両方とも食べている。。。

「あのね、パパが、、、幸子の桃も食べちゃったの。

 幸子も食べたかったのに。」

全く相変わらず可愛いったらありゃしない!

幸子ってこんな声だったんだ。ものすごく可愛い声だった。

そして、パパも相変わらずだな。。。

あゆ子は、、、こういうときには出てくるはずもなく。

あきれ返っているに違いない。

よし。これからは仏壇には桃だな。

わかったよ。桃だな。


東京に戻り、少しの間友人宅に身をよせ、

6月になり、、、。仕事を再開して、やっと落ち着いている私。

こんなに長い間、仕事から離れたのは初めてだけど、お客様やスタッフにも

理解していただいて、へなちょこな飼い主はこれからきっと、

ゆっくりゆっくり、悲しみを感じることが出来るのでしょう。

今でも毎日、ローソクや、お花を届けていただき、、、。

私は優しい人々に囲まれて、少しずつ、涙を流す事が出来るのでしょう。

あーー。全くめんどくさい奴だ。自分。

 

今度は、本当に元気になって「ただいま!!」って、八丈島に行ってこよう。

コテージK2の皆さん、ステキな旅をありがとう。

 

この場を借りて、改めて、沢山の沢山のメールやお手紙、そしてお供えやお花。

本当にありがとうございました。心より感謝しています!!

そして、今日も、へなちょこは進む。これからもよろしく!!

かしこ                 おのめぐみ

 

お母さん、へなちょこだから、、よろちくね。

                 幸子より

 

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ありがとう!!!またね!

先日、FBでお知らせいたしましたが、4月5日、夜8時20分。

幸子は天使になりました。

享年 17歳11ヶ月。いっしょうけんめい、がんばりました。

 

いつも、いつも、たくさん、たくさん、励ましてくれて可愛がってくれて

ありがとう!!!

このブログは闘病仲間、友人、お客様、、沢山の人が訪れてくれましたが、

もともとは幸子の闘病日記でした。情報収集の為に立ち上げたものです。

 

沙紗(幸子)は健吾と杏樹の間に生まれ、長女としてすくすく育ちました。

8歳のときに「免疫介在性溶血性貧血」という難病にかかってしまったけど

抗がん剤、輸血、投薬、、、沢山の治療に耐え、奇跡的に助かった幸子。

沢山の制約はあったけれど、それから10年もがんばりました。

「美味しく、楽しく」私たちはそれだけが毎日の目標で、

それだけで、とてもとても幸せでした。

ふたりでいることが幸せでした。

 

うちで生まれたので、パパとママがいる間はみそっかすだったけど、

私との二人暮らしが長くなってくるにつれ、

いつの間にか私の最高の相棒となってくれました。

そして、私たちは本当に幸せに仲良く暮らしていました。

 

いつもいつも笑顔で、私を困らせるような事も何一つなく、

逆に私を支えてくれていた幸子。

 

今月に入ってから、少しずつ体調の変化があり、

食べることや、お水を飲むことが難しくなりました。

だから、

それからの私たちは片時も離れずにずっといっしょに時を過ごしました。

私はお風呂にすら入らなかった。

 

亡くなる前日のとても暖かだった初春の日。

私の旧友と一緒に、隣の公園に満開の桜のお花見に行き、

楽しそうな笑顔で、最高の思い出をプレゼントしてくれました。

よちよちと、自分の力で土を踏みしめて歩きました。

これが、大好きな公園での最後のお散歩になりました。

私にはちょっとだけわかっていました。

 

最期の日には大好きな「リカチ」の車で病院に行って、半日だけ入院して、

夜はやっぱり大好きな友人「さっちゃん」の車でおうちに帰り、

そして、酸素ボンベを吸いながら少しだけ大好きな自分のベッドに横になり、

10分後に生まれて初めて「だっこ!だっこ!」と私に甘えて、、、

腕の中で、私の顔を見上げてから、、、

静かに、静かに、息を引き取りました。

 

だから、最期に「さあしゃ!ありがとう!!」と伝える事ができました。

心臓が止まったことも、私の手のひらに、お知らせしてくれました。

パパとママのお骨のあるおうちで最期を迎えることが出来ました。

一週間だけ、私に「覚悟をする」という時間を与えてくれました。

 

今はまだ、悲しみよりも「彼女への感謝と尊敬の念」しかありません。

あんた、やっぱり最高だよ。

完璧すぎるよ。

未熟な私に大切な事を18年もかけて、すべて幸子が教えてくれました。

幸子は死なない犬だと思っていたけど、そんなことはないという事も、

教えてくれました。

 


 

荼毘にふすまでの二日間、何十人もの私の大事な友人たちが訪れて、

にぎやかに、しめやかに、最期のお別れをしてくれました。

沢山のお花が届き、幸子のまわりは見事なお花畑のようになりました。

 

大好きなリカチに最期のお手入れをしてもらったり。

 

訓練士さんも駆けつけてくれました。

 

由紀ちゃんは金メダルを作ってくれました。

 

おぢちゃん@マジュパパとも再会の約束の握手。

 

私は最後にお庭のホワイトセージを切り取りました。

 

みんなのお花をみんなで短くしました。

 

みんな、みんな、本当にありがとう。


4月8日、お釈迦さまのお誕生日に、深大寺にて。

生前の幸子をいつも可愛がってくれていた友人たちに見守られ。

眠ったままのように可愛い姿で。

幸子は旅立って行きました。

見事に咲き誇る桜並木は、なんだか今年は特別に綺麗に見えました。

天国には彼女の「いぬの家族」がいます。

だから、私もそのうちまた、いっしょに暮らせます。

なんていう幸せなんでしょう。

幸子。

幸子。

幸子。


 

健吾も杏樹もそうだったように、最期の晩に手を繋いだ時に、、、

「どくどくどくどく」と、、手の中で信号を送ってくれて、

不思議な交信をしました。

はっきりと、脈を打つように伝わる感覚は、、、全員同じでした。。。

 

そして、やはり健吾と杏樹と同じように、荼毘にふしたその晩からは、

真っ白な煙のような塊になって、家じゅうにその存在を見せてくれたのです。

これはきっと、しばらく続きます。

私が一人で眠れるようになるまで。。。

 


 

このブログを読んでくださってる皆様には、いつも優しく気にかけて

可愛がって頂き、本当に感謝しています。

そして、お花やお手紙、メールやコメントを沢山いただき、

ありがとうございます。ゆっくりとお返事をさせてください。

 

幸子は最高に幸せないぬでした。

私は何一つ、悔いはありません。

 

   ありがとう!!またね!!

   あたちはうんと幸せでした。

      さあしゃより。

 

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老犬と暮らすーワンコそば編ー

桜が咲いたよ。

幸子と桜を愛でる事ができたよ。

幸子は公園に行くと「先輩」とか「巫女さん」とか言われて、

沢山触ってもらう。「ご利益、ご利益」って。。。(笑)

「犬は家族です」って。よく言うけど、

当たり前すぎてあんまり好きな言葉じゃない。

「犬を飼ってる」って言うのもすごく変。

なんだろ?私がへそ曲がり??

でも、一緒に暮らしてるって言うのが一番、好きかな。

うちで生まれてもうすぐ18年。365日毎日ずっといっしょ。

 

でも、、、そんな幸子も、最近ではうんと年をとった。

あゆ子よりも、どちらかというと、ぬん吉っぽい年のとり方。

ぽわ〜〜〜〜〜〜〜ん、、、としてて、その空気に吸収されてしまいそうだ。

老犬特有の「無表情な顔」大好きだ。

 

テテが広がって上手く立っていられないので、この間は鍼灸師の先生に往診

して頂き、マッサージのツボなども教えていただいた。

先生が帰ると、もう、、、ビックリするほど爆睡!!

「鍼が・・・効いたの〜〜〜もう、だめ・・・」

ご飯の時間にも珍しく起きてこないほどに、魂を抜かれたように爆睡。

本当に抜けてたらどうしよう!!と思うほどに、寝た。よほど効いたらしい。

青木先生、いつもありがとう!!私もやって欲しかった・・・

 

ご飯は食べたがって器の前までちゃんと同じ時間に来るくせに、ますます大変。

腎臓が悪くなると、てきめん。

両親が重い腎不全で、ずっと家で点滴をしていたので、慣れてはいるものの。

本当に「食」に関して難しくなるのはてきめんだな。

あれやこれやと苦労する。

一日4回、完食するのにトッピングの嵐。。。。

キュウリ、もやし、いちご、パセリ、ヨーグルト、林檎、バナナ、小松菜、、、

おかか、ゴマ、マグロ、そうめん、そば、、、、

ありとあらゆるものをトッピングして、もう、さながらワンコそば。

どんどん増えていくのだ。

ちょっとだけ食べながら増えていくのでほんと、ワンコそば。

 

このレトルトはとても重宝しています。

全種類、箱で買わされた。。。

「ちょいめしシリーズ」

他にも常に色々と、補充。冷蔵庫の中も幸子用の物だらけ。

 

そして、、、30分も一時間も悪戦苦闘した末に、、、、

何故かスイッチが入った後のラストスパートは

いつも「掃除機」のようになる。。。

そして、「もう、ないの??」って顔で見られても、、、

もう、こっちは同じ姿勢でへとへとなわけで。

「もう、ないよっ!!そんなに食べなくてもいいっ!!!」

 

と。沢山の余った食材を飼い主が何とか腹に収めるのも、懐かしいな。

 

SASHAのお庭も春めいて。大好きな花たちが勝手に咲き始めました。

約束もしていないのに、毎年ちゃんと咲いてくれて、本当にうれしい。

 

今年もハーブ雑貨の活動はまだお休みですが、自宅用が常にありますので、

少しでもよろしければHPの「お問い合わせ」より、

お問い合わせくださいね!!

 

明日は幸子の病院です。

電話に出ることがなかなか出来ない日々ではありますが、

しつこく鳴らしてくださいませ。

仕事も介護も、、すぐに手が離せないことが多いので、

出ると切れてしまうという電話が、一日に何本もあります。すみません!!

(留守番電話にメッセージをどうぞ!!)

 

かしこ。

 

 

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梅と幸子と御朱印帳と

小春日和の日。

幸子と公園に梅を見に行きました。

昨年の梅祭りにはこれが最後かなあ。。。なんて思ったことを思い出して、

幸子のがんばりを褒めてあげた!!

幸せだあ〜〜〜。。。

幸子はだんだん地蔵のように無表情になり。

それがまた、可愛いと思ってしまう飼い主です。

うれしいのか、たのしいのか、なんだかわかんないけど。

いつも同じ顔の幸子。

それでも公園に来るとカートのなかでいつも足踏み!!

テンションは確実に上がっているようです。

人も犬も。年をとると無表情になるのは、もう、喜怒哀楽に一喜一憂する

事などないほどに、何かを悟るのかなあと思ってみたり。

11月には私も幸子も、仲良しだった友人を亡くしました。

長く生きてるといろんなことを経験するけど、そんなときにも、

幸子から教わる事が多い相変わらずへなちょこな飼い主です。


最近ブログが少ないねって、、、よく言われちゃうけど、、、、

やはりなんだかんだ言っても、17歳と10ヶ月の幸子のお世話はそれなりに

大変で、もう、ワタクシ、たった一匹の小型犬なのに、へとへとなのです。

ぬんぬんとあゆ子(幸子の両親)の介護の頃は、もっともっと壮絶だったし、

しかも2匹だったけど、、、、私が若かったのですね!!!笑

 

ご飯は一日4回。器を置けばご飯を食べるというわけには老犬はいかない。

長いときには一時間かかります。しかも好き嫌いもどんどん出てきます。

だから、ぬんぬんたちは一食にそれぞれ、三時間くらいかかってた。

支えている飼い主も体力仕事。

そして、オシッコもウンコも支えていないと出来ないので、

夜中でもちゃんと寝た気がしない。

 

それでも幸子はボケてないのが救いです。

だから、まだまだこれは介護ではないのです。ただのお世話です。

 

今は獣医学も発達し、犬も本当に長生きです。

だからこそ、今度は介護が必要になってくる。

若いうちから、しっかりとそれを考えて置くようにと、

私は今、友人たちに口を酸っぱくして伝えています。

信頼できる人たちにヘルプをしてもらうという準備です。

友人知人でなくても、今はプロの人たちも沢山います。

そして、やはり、何より大事なのはしつけです。

老犬はなんだかんだと、わがままで頑固になってきます。

そんなときに自分以外の人になつかないようでは、本当に大変です。

誰にでもとは言わないけれど、小さい頃からきちんとしつけをして、

他人を受け入れることが出来るしつけをしておく事は、とても大事です。

そして、高いところに乗るクセだけは、絶対にNGです。

年をとってからは「ダメ」はもう、教えられません。

人間のように年をとったから、もうやめておこう。とは犬は思いません。

ヘルニアになってからでは本当に遅いのです。

幸子もヘルニアは何度か経験しましたが、泣き叫んで痛がる子を、

ケージレストで見ているしか出来ないという辛さは、耐え難いものです。

そして、その、ケージレスト。

ケージの中でおとなしくしていられるという事も、とても大事です。

私は先日、友人のお葬式でどうしても幸子を預けなくてはいけなくなり、

初めてスタッフののおうちに幸子を預かってもらいました。

ケージの中でずっと足踏みをしていたそうです。

きっと慣れていないので不安だったのでしょう。

暴れたり泣いたりすることがなかったにせよ、、反省しました。

 

ペットショップ何も考えずに犬や猫を買う人たちが、

いなくなりますように。

ワタクシの、切なる願いであります。

 

犬との暮らしは、最高です。だからこそ、、、。


桜のお花見も幸子と一緒に来られるようにと、御朱印帳も初めて頂きました。

スタートは日枝神社から。

ティピーポーチを改造し、中にもナスカンをつけて。

全国のお客様や友人に送っていただくお守りを

ギュウギュウに詰め込んで、眠るときにも私と幸子の間において、抱きしめて

眠るのです。

「桜のお花見も一緒に行くよ!!」幸子 

 

 

 

 

 

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18回目の年越し。

あけましておめでとうございます!!

 

幸子と無事に年越し。ゼロ歳から数えると、18回目。

こんなにステキなクッキーを送っていただき、、、感無量。

いつも励まし、ありがとう。

年末には本当に本当に、沢山のプレゼントをありがとうございました!!

大晦日の公園です。

朝は特にうんと大変で、、、小豆のチカラを首に乗せてご飯を食べます。。。

手が広がってしまうので、、、レンガで挟まれています。。。

そんな幸子ですが、

普通にリカチと散歩。

てちてち。

 

家じゅうがペットシートで、その横でこっそり眠る私。

私の布団よりも、ペットシーツの面積のほうが広い。

とにかく一部屋に仲良くいつも一緒にいる私たち。

もう、共同生活というより、共存。そして、、もう、共依存。

 

アニコムさんに「祝長寿」で頂いた「缶バッヂ」

でかい。

ウンコを送ったら、腸内フローラの検査をしてくれて、缶バッヂをくれました。

 

今年も、仲良く、美味しく、楽しく。

 

お正月はとにかく、いつも以上に、これでもか!!というほどに甘やかして

やろうと思っております〜〜。

ことちもよろちく。

 

おのめぐみと幸子。

 

 

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おしめ様と私

なんだか若く見えるけど、つい最近の写真!!

耳はとっくに聞こえないけど、目はちゃんと見えてる17歳半の婆ちゃん。

幸子との二人暮らしも、そろそろ5年だ。

そう、あゆ子とぬん吉が天国へ行ってから、もう、5年もたつのだ。

みそっかすだった幸子(当時はサモニだった笑)も、すっかり「あうんの仲」

二人暮らしって、、やばいなあ〜〜。濃すぎる。

 

それよりも、うんと感じているのが「ひとりモンが犬と暮らす」という事だ。

若いときは何でもなかったことが、すべて大変になる。  

食べること、トイレ、留守番、寝ること起きること、、、、

何もかもが高齢になると大変になる。それが介護だ。

幸子も元気とはいえ、、もう、片時も目を離せない。

・坐れないので四肢が広がってしまう。トイレは支えてやる。

・転べば自分では起き上がれない。

・寝返りをうたせてやらないと、呼吸困難になってたりする。

・ご飯は食器の前に坐らせても、なかなか上手くは食べられない。

 今までのご飯はすんなり食べてはくれない。。。

・朝は目をあけるのを見計らって、すかさず抱っこして、さすって、伸びや

 あくびをさせて、体が起きるのを手伝ってやらないと、脳の発作を起こす。

・昼夜は逆転し、徘徊するので、夜はなかなか眠れない(泣)

・オシメをしていても、もれてウンコまみれで動き回る(号泣)

だから、外出はもちろん、飼い主がお風呂に入ったり買い物に行くのだって

とっても大変になる。ゴミ捨てだって猛スピード、もしくは人に頼む。

外に出るときは、このカートに幸子を詰め込み、いつも一緒。

だからスーパーにも行けないので、買い物は個人商店か、農家で。

(それはそれで楽しいけれど。)

災害時の避難グッズもすべてカートに入れて玄関にある。

そして、週に一度は避難訓練。いつでも一緒に逃げられるように。。。


あゆ子とぬん吉のときの、あの日記(2010年くらいから〜)の頃は

老犬が二頭(同じ年)だったので、あのような介護日記が続いた。

16歳はまだそうでもなかったけれど、

17歳からはそれはそれは急に大変になってきたんだったな。。。

二人とも、大きな病気もあり、本当に壮絶な介護になってしまったのだ。

毎日点滴や注射を自分で打った。

てんかんの発作を起こし暴れて叫び続けるあゆ子を夜中じゅう抱きながら、

ぬん吉は足で支えたりしていた。文字通り、手が足りなかった。

ほとんど眠る事は許されなかった。泣きながら夜を明かした。

もちろん普通に私は一日中、仕事をしていたので、

私は半年でなんと、、15キロも痩せてしまったのだ。今も戻らない・・・

 

それでも、私はまだ、今より少し若かったので、夜、一時間しか眠れなくても

何とか体がもった。(スタッフがいるときに仮眠をしたりすれば。。。)

私は家で仕事をしているし、週に何回かはスタッフがいるので、

それはとてもとても恵まれていると思う。

 

それでも、あんな感じだったのだ。

 

一人暮らしの車なし。

幸子の主治医にもはっきり言われた事がある。

「私は本音を言うと、一人暮らしの人が犬を飼うのは反対なの。」

その通り。。。

一人暮らしでなくても、共働きで留守が多ければ昼間は覚悟だ。

私の周りにももちろん沢山、今から心配な人たちがいる。

同じ位の年齢の大型犬の多頭飼いで、一人暮らしのOLさんもいる(恐)

8歳くらいからは、本当に対策をきちんと考えておかないと!!

働けなくなるぞ!!そしたら犬の病院代だって、、どうするんだ!!

 

かく言う私と幸子も、すでに相変わらず友人やスタッフに迷惑かけっぱなし。

それでも、手伝ってくれる人がいるというのは、本当に本当にありがたい。

 

「ちょっとだけ見ていて」が本当に必要なのだ。

私は30代で3頭の犬と暮らし始めたが、こんな現実は考えていなかったと

言うのが真実。もちろん何があっても犬と暮らすことは幸せなのだけど。

そして、そのためにも自宅で出来る仕事を選んだのだけど。

それにしても、当時の考えは本当に甘かったな。

こんなに老犬が愛おしいなんて、全く知らなかったのだから。。。

 


当の本人は、相変わらず幸せそうだ。

 

 日向ぼっこ。

 公園にお散歩。

 リカチに抱っこされて、幸せ赤ちゃん。

 年のわりには綺麗でしょ。「いいいーーっ」

 

 「おはようの危険人物!!」ここから一時間が一日のうちで一番大変。


もちろんいいことだって沢山あるよ。

アニコムさんの「祝長寿企画」なるものに応募してみた。高齢の特権!

検査をしてくれて、缶バッヂを作ってくれるんだと!

これは、、、首に出来ていた大きくなった腫瘍を、院長が縛ってくれたやつ。

2週間で小さくなって、、、、ポロンと取れた!

早くやってあげればよかったなあ。

かなり膿んで、血も出てきてて、私の小指の先ほどに膨らんだ。

2年以上悩んでいたのだけど、院長の決断は正しかった。

今は取れた後が「はげ」になってしまったけど、ま、いいか!

お守り、いつも沢山いただきます。うれしい!!ふなっしーも笑!!

もうバッグはお守りでじゃらじゃら〜〜〜。いつも病院でビックリされます。

でも、沢山たくさん、がんばった証です。ありがとう!!

 

今月が終ると17歳半。

「いつまでいるの?」って聞いたら

「ん??気が済むまで」だって。

どんなに大変になってもいいから、

ずーーっと、ずーーっと、いてください。

幸子がパパとママとマジュのところに行ったら、

母さんは本当に一人になっちゃうよー。というのは本音。

でも、行くところが決まってるから、母さんは安心だよ。

幸子が好きなだけ、いてください。もう、すべてはあなたに任せます。

母さんはあなたがいる限りは、あなた中心でお世話しますよ。

 

そんなことも含め、犬と暮らすのは色々な覚悟が必要です。

甘かった自分の反省とともに、皆様にも早めの対策をお願いしますよ。という

日記でしたーー。

老犬は可愛すぎますので、本当にヤバいです。がんばりましょう。飼い主!

という日記でしたーー。

かしこ。

 

 

 

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自然の師匠たち

久しぶりの「Megu‘s BAR(婆?)」

相変わらず、庭仕事は出来なくて、庭は荒れっぱなし。

このキノコ。食べられるのかなあ・・・

来年の春にはきちんと手入れを始めよう。。。


ウッドデッキも悪天候も手伝って蜘蛛の巣だらけ。

でも、私はぼーーーーーっと「蜘蛛」を眺めているのが大好きなのだ。

蜘蛛は最高の職人であり、狩人で、、そして、哲学者だ。

小一時間も眺めていると、その仕事っぷりというか生き様には感激する。

縞々のでっかいボスがいる。その作品は本当に見事だ。

大雨の日は仕事を休み、ひたすら動かずに体力を温存している。

獲物は瞬間移動して捕獲し、一瞬にして「自分のポジション」に戻る。

ある日の朝、私はいつものようにボスを眺めていた。

職人としてはその技術も盗みたい一心で蜘蛛の巣を張る作業も見せて頂く。

「ドリームキャッチャー作るのうまそうだなあ。。。」とか思いながら。

「時給高そうだなあ、、、」とか思いながら。

あまりの長雨にかなりじっとしていたボスだけど、この間は逆さになって

蜘蛛の巣の真ん中で両手を挙げて「くるくるくるくる」回っていた。

いっぱいあるからどれが手か足かわかんないけど。

そうか、晴れた日には、この体操をしろと私に言ってるのだな。

誰も見ていないのをいいことに、私も両手を天に向けて「くるくるくるくる」

私は手が二本しかないので、真似をしやすい。

体操まで教えてくれるのかーー。なんだか、肩がすっきりしたぞ。

 

んんん????

えええ????

 

脱いだ。

するりと。自分を。

蜘蛛って脱皮するんだ。知らなかった。

出来ません!師匠〜〜!!

これは無理だ。簡単には真似できん。

でも、、、私にもきっと脱皮しろって言ってるんだな。

師匠、深すぎです。

そんな朝のウッドデッキでの時間が、かなり好き。

幸子が起きるのがとても遅いので、朝の5時頃から、一人でそんなことしてるの。

 

今日はトカゲが私が突然椅子を動かした事にビックリして、尻尾を切って逃げた。

命を守るためのあまりにも切ない、そして、見事な習性。

これからは椅子を動かす時はもっと気をつけなくちゃだな。


そして、私は雲も好き。

流れる雲をぼーーっと眺めてるのも好き。

 

そういえば、一度だけ、ミラクルを起こしたことがある。

ぬんぬん(幸子の父犬)が、13歳にして手術をする事になったとき。

彼はとんでもないアレルギー持ちで、すべての薬が使えず、おまけに注射は

アナフィラキシーショックを2回も起こしているので、全身麻酔なんて、

とんでもなかったのだけど、でも、歯肉炎が悪化してもう、選択肢は抜歯しか

ないという事態になったのだ。

命がけの全身麻酔。私は覚悟を決めて祈る事に徹した。そうするしかなかった。

敏腕ドクターを信じ、私は祈る為に、近所の露天風呂に行った。

天気のいい日だった。

流れる雲を見ながら、人になんと思われようが祈った。(もちろん素っ裸で)

当時「正心整息法」という呼吸法での祈りにハマっていたので、ずっとずっと。

そして、雲を見つめ続けていると、、、、、

くもの形が

「KENGO」

になったのだ!!!

なにこれ???自分の目を疑った。

隣のおばちゃんに「すみません、、、アレ、何て読めますか?」と確認した。

私は自分が夢を見ているのか、はたまた心配すぎて気が狂ったのかと思ったのだ。

そのくらいくっきりと文字になっていた。

おばちゃんは「K E N G O」って読めますね。と。。。

うわああ〜〜〜。念が通じた。。。

雲って本当に動かせるんですよ。でも、まさか自分が出来るとは。

もちろんぬんぬんは手術が成功して、無事に生還。

 

やっぱり、そろそろ幸子と一緒に怪しい神社作ろうかなと、真剣にもくろみちう。

(嘘です)


でも、巫女さんと言われて拝まれている幸子にも沢山教わることがある。

彼女は朝、脳に酸素を回すためなのか、何度も何度も大あくびをする。

それも、真似。そうすると、体が少しずつ動いてくる。ふむふむ。

自然界では動物たちは、自分のストレスをその都度解除するために

とても人間では真似が出来ない速さで「ぶるぶるぶるぶる」と体をふるわせたり、

鳥は「ばたばたばたばた」と羽ばたきをして、自分を開放する。

無駄なエネルギーは放出するのだ。

それも、真似している。

動物たちの誰にも教わっていないのに、きちんと自分を守っている仕草や生き様

を目の当たりにすると、、

自分の弱さを思い知る。人間が一番だめな生き物のような気がしてくる。

 

17歳半の幸子の目を見ていると、もう、師匠だ。

まあ、巫女とか、ゾンビとか、婆さんとか、師匠とか、、、

幸子もいい迷惑だろうが、たくさんの事を教わってるのは事実。

そして、、、食べたいくらい可愛い奴だという事も、これまた、事実。

 

かしこ。

(なんだか、最近勝手に改行が変わってしまうので、、読みづらくてすみません。)

 

 

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